本日の午後より大東市生涯学習センターアクロス4階特別会議室で開催されましたアクロス歴史アカデミーに参加致しました。
今日は、城郭研究の第一人者として著名な中井均先生(滋賀県立大学名誉教授)が講師として、『戦国山城の復元ー飯盛城の復元に向けてー』と題し、ご講義頂きました。
司会進行は、お馴染み小林義孝先生です。
内海久子府会議員も一緒に参加しました。
はじめに、国史跡指定となりました飯盛城跡の簡単な説明から入り、石垣ー山城居住ー聖地の空間と飯盛城跡の持つ3つの歴史的価値の大変高い部分を教えて頂きました。
石垣の価値の高さは当然、当時のまま残っている事。
織豊石垣の基礎となった三好石垣と(権威を象徴し来る者に見せる)言える。
城に居住した歴史の始まりである。飯盛城には三好長慶と家族、兄弟、家臣家族も居住していた。
宣教師アルメイダが先に布教に訪れたガスパル・ヴィレラが居住する飯盛城に会いに行く場面が、イエズス会日本報告集にあり、当主は三好長慶と明記されている。
聖地としては、五体塚に恐らく三好長慶の墓を作っていた、との見立て。
天下人の証明では、当時は畿内を治めれば天下統一である。
飯盛城の270度のパノラマは敵の動きを瞬時に把握できる位置にあった。
復元は基本せず、石垣保存と樹木の剪定による見せ方など。
などなど、質疑応答併せて約2時間たっぷりと飯盛城の歴史的価値の説明をされました。
高槻市の芥川城との石垣対比など面白いのでと進めておられました。
最後の質疑応答で質問させて頂きました。
現存する石垣は崩壊したものも合わせれば全体的にはどのような全景が予想されるのか。などです。
中井先生からは、石垣はほぼ現存しておるので、これを保全し貴重な史跡として、多くの皆さまに見て頂く環境を整備する必要がある、と結論されました。
本日の講義を受け、飯盛城跡が更に歴史的価値の高い存在である事や、市民がシビックプライドを感じるに十分兼ね備えている事などお話しをされ終了しました。
次回は、野崎観音、慈眼寺のキリスト教の影響と、河内キリシタンが島原の乱に関係している事など検証する内容だそうです。
またまたドラマチックな展開が聴けると今からワクワクします。




